ヨーロッパとの修好通商条約締結150周年と銘打って今年1月5日から去る3月9日までやっていた催しだが京都国立博物館なら近いからいつでも行けるわと思ってついつい先延ばしして気が付いたら最終日。なんとかぎりぎりで見に行くことが出来た。
マイセン、セーブル、ミントン、ウェッジウッド、ロイヤルコペンハーゲン、など現在高級西洋陶磁として人気のこれらの銘柄はいつ頃から日本で知られるようになったのか。実はすでに400年前にその萌芽があり江戸時代にはその筋ではかなり重宝されていたようだ。武家、寺社、お茶屋などが所蔵してきたものがかなりある。
今まで一般に流布されてきた歴史観では大航海時代のヨーロッパ諸国は珍しい物品を求めて東洋へ渡航した。陶磁についても中国や日本の優れたものにあこがれていろいろなものを持ち帰った。陶磁器に関してはこのような東洋から西洋への流れといった観点だけから論じられてきた面がある。しかしけっしてそれだけではなく逆に西洋から東洋への陶磁文化の流れも存在していたのだ。
江戸時代初期に日本にやってきた西洋人が持ち込んだ酒類の空き瓶は大量に作られた安価な物だった。が、それには人面が描かれており当時の日本人の目には目新しいデザインが「髭徳利」の名で珍重された。高野山霊宝館などに保存されていた。
鎖国となってもオランダとの貿易は続き、それによってもたらされたヨーロッパ各地の陶磁製品はその生産地がどこであろうとも「阿蘭陀焼」として日本人の興味をそそった。銅版転写という技法を用いて描かれた細密な絵柄を日本人陶工たちが真似しようとした。その他造形、意匠、色、図柄などそれまでになかったようなものを目の当たりにして何とか同じ物を作ろうと心血を注いだ。明らかに日本人が作った物なのに西洋の図柄と見まがう物もある。
実は西洋人が日本の伊万里を持ち帰り、それを模してオランダで焼かれた物が日本にやってきた。「伊万里写」と言われているが花や生き物の図柄が西洋風にアレンジされている。今度はそれを見た日本人がそれを真似て出来るだけ西洋風に近づけた物を焼く。文化とは一方的に与え受け取るものではなく双方の知的好奇心がピンポンをして進化していくものなのだと気がつくことの出来る展示である。