国際情勢に鑑み…

すみません、今日の記事はあまり面白くありません。いつものような記事を期待されている方は読むのをパスしてください。  

United Nationsは国際連合と訳されているが連合国と読むことも出来る。むしろ直訳的にはそのほうが近い。むろん第二次大戦の連合国のことを公式にはthe Allied Powersと表記するのだがそれは当時の軍事的な結びつきによる対外的な影響力をさしていると思われ、結びつきを形成する個々の国家自体はどこまでもNationであるしその統合体としての存在はUnited Nationsという表現で適切であると考える。国際連合が第二次大戦後戦勝国となった旧連合国の働きかけで結成されたのは、その政治的枠組みを以後も崩さずに保ち続けたいという意図からであろう。そう考えればその名称がその性質を示しているのだ。国連は一見国家の上に位置する諸国家間の調整機関のように思えるが、実は旧連合国の思惑に沿うようにまとめていく政治機関と見てよい。だから旧連合国の主要国だった5カ国に付与された安全保障理事会常任理事国の権限は絶大だしそれを手放すことは絶対になくまた新たなメンバーを加えることを外面はともかく本心ではどこも歓迎はしない。そんなことをしたら5カ国の持つ政治的イデオロギーこそが現代の国際正義という前提が覆されるからだ。

今の国際社会が大日本帝国のアジア進出やナチスドイツのヨーロッパ侵攻・ユダヤ虐殺を戦犯行為として断罪してもアメリカの原爆投下、英仏のアジア・アフリカへの植民地支配、ソビエトのベルリン侵攻・対日参戦による北方領土占領・シベリア抑留あるいは中国国民党の台湾人虐殺・共産党チベット侵攻そしてそれらすべての国の核実験などを不問としているのは旧連合国の意図だからだ。日独が戦後今まで国際社会に貢献してきたのだからもう敵国と呼ばないでくれと言ってもそれを認めたら価値観の相対化が起こり自分たちの行為の正当化できる論拠がなくなってしまう恐れがあるのだ。「戦争を起こしたのは彼らだ、我々はそれを止めるために戦ったのだ。そして新しい秩序を打ち立てたのだ!」と。
 
不幸にして常任理事国同士の利害の対立もままある。特に米露、米中などにおいてだ。このとき国連は全く無力で抑止力にならない。そこで当事国同士の交渉となるが、不思議なことに直接的な全面戦争となることはまずない。それはもし両国間の戦争という事態になると彼ら自身が君臨するのに拠って立つところの「連合国的国際秩序」の崩壊になることをお互いよく知っているのだ。だから最後の手段に訴えることなく柄をはずすことなく自制しているのだ。軍事力とは自分より弱い国に対して使う物なのだ。

日本が常任理事国になることで国際的な影響力が高まることを期待する向きもある。が、国連がこのような性質である以上自分の主体性の発露の場とすることを望むのはお門違いだと多寡を括らなくてはならない。もちろん日本が主体性をもつこと自体は結構なことである。しかしなんの後ろ盾もなしに闇雲に自国の主張を繰り広げても残念ながら聞く耳を持ってくれる国はないと思ってよい。結局連合国側の論理の中で日本が彼らの利益の存在を損ねる者ではないことを訴えるのにとどまろう。皮肉な見方をすれば日本が常任理事国入りすることがあるとすればそれは日本が連合国の論理に従い敵国であったことを受け入れ原爆も北方領土占領も南京虐殺もみんな認めたと明言する日のことであろう。そんなことまで言わされての常任理事にいったい何の強さがあるであろう?