京阪京津線九条山付近

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1997年9月末をもってJR信越本線横川~軽井沢間が廃止になった。ここは名にしおう難所で66.7パーミルの急勾配が続いた区間である。が、この急勾配日本唯一だったわけではない。規模は小さいがもうひとつ同じ66.7%oの勾配が西にあった。 

それは京阪電鉄京津線蹴上~九条山間であった。京都~大津間には東山36峰が立ちはだかって昔から交通の難所だった。JRは在来線も新幹線も2つのトンネルを掘って難なく通り抜けているが、京津線はエッチラオッチラ越えていたのである。そこに人が住んでいたから。九条山の駅などは勾配の途中にあったのである。よく止めたことだと思う。
 
が、三条~御陵間は京都市営地下鉄に乗り入れることになりこの勾配区間も横軽の後を追うようにして1997年10月11日で廃止になった。地下鉄は山すそを貫通して峠を越えずに走り抜ける。だから九条山、日ノ岡の2駅は地下鉄では作られなかった。その点長野新幹線に似ている。

1枚目がまさに66.7%oにさしかかる所である。急勾配だけでなく急カーブ、併用軌道移行など変化にとんだ路線だった。京津線は一名ジェットコースターと呼ばれた!。

時を経ずして日本から急勾配で知られる2つの路線が相次いでなくなった。あれから早や8年。線路跡は埋められ道路の拡幅に使われて今はもう路線の形跡は見当たらない。