急行平安/こんな列車もあった

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1985年3月まで京都発草津・関西線経由名古屋行きのDC急行「平安」というのがあった。面白いのは草津線で柘植まで来た列車は今も存続している奈良から来た「かすが」と併結しさらに亀山で紀伊勝浦から来た「紀州」と併結して名古屋に向かったことである。この列車自体は2連なのに号車番号は3列車全体での通し番号でつけられていた。それにしても平安とかすがなんて神社協賛みたいである。

だが新幹線の陰に隠れて目立たない存在で通しで乗る客は少なかった。手元に現存する交通公社時刻表1983年6月号によると京都を16時20分発、名古屋19時11分着とあまり利用勝手のいい時間帯ではなかった。ちなみに当時のダイヤで京都を2分後に発車する大垣行き普通に乗り大垣で2分の接続で浜松行き普通に乗り換えると名古屋19時13分着となりほとんど変わらない。2都市間連絡急行としての存在価値は薄く沿線地元客を拾う性格の列車だったと推測される。

ここに撮ったのは京都駅で廃止前1月のことであるが、これが主目的ではなくついでに撮ったものである。撮ったのはこの扉周りの行き先標と列車標だけ。車両はヘッドマークもないキハ58の2連でありふれていて撮り鉄としては食指が動かないものだった。しかし号車番号が6号車になっているのは柘植で奈良から来たかすがと併結したからで当時58系DC急行ではこのような多層建て運行が各地で見られた。そのような運行が乗り鉄には興味がそそられた。今や58系の現役急行は単独運行の「みよし」だけ。そんな日が来るとも気付かず写真を撮り損ね惜しいことをしたものである。そんな写真だけなのだけどご寛容いただき往時を偲んでいただければ幸いである。