国鉄奈良線電化初期のころ/その1-105系

イメージ 1

桜井行き、京都駅ホームにて1985.2

 

イメージ 2

クハ103からの改造車、木幡付近1984.10

 

1984年10月、惜しまれて廃止された紀ノ川を筆頭にDCが去っていった後を受けたのが105系だった。この電車は常磐線で余剰になった地下鉄非対応の103系を短編成で走れるように改造した車両である。もともとクハであったものと改造によって先頭車化したもので顔が異なっていたがいずれも貫通型で連結使用を想定しており幌をつけていたものもあった。とはいえ中に入れば103系の頃と同じで目新しくもない。そして当初は始発から終電まですべて105系の普通ばかりでファン的には未電化の頃に比べ興味が半減したものだ。

が、まったくそっぽを向いたわけでもない。写真は撮っている。クリームに赤帯というカラーは国鉄ではこの105系で初めて採用されたものであるが、ちょうど同じ頃東の都営地下鉄5000系が塗色変更をしていた。こちらも示し合わせたように同じ塗りわけになった。どちらがパクったのだろうかと1ファンは下種のかんぐりをしたものだ。さて電化当初は未電化の頃の運行形態を引き継いでいる点もある。全32往復中7往復が櫻井までロングランしていた。京都駅で発車を待つ普通桜井行きを撮った。1時間半以上も105系に揺られて櫻井まで乗るのはあまりぞっとしない気分。当時は京都駅の奈良線用ホームは1本だけだった。その後この画面の左手にもう一本ホームを増設したため今はこの位置から貨物列車が走り過ぎるのを見通すことはできない。