片町線から学研都市線へ①田辺

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1997年3月8日を持ってJR東西線が開業しこの線によって片町線東海道福知山線とが結ばれた。その際京橋~片町間は廃止され片町駅もなくなった。それまでもこの路線の正式名は片町線で愛称は学研都市線だったが、このときから本格的に学研都市線の呼称が広まった。今は片町線と呼ぶ人は少数派になった。そしてまたこのときを期して駅名が変わったところもある。上田辺と田辺がそれぞれJR三山木京田辺に改められた。上田辺については以前記事を載せている。
片町線上田辺・同じ場所での光景 - awatembowの日記 (hatenadiary.com)
今回は田辺のほうに着目しよう。この年の4月に京都府綴喜郡田辺町が京田辺市になることを受けての呼称変更であった。変更になる一月前に行ってみた。一休さんで有名な一休寺の最寄り駅である。国鉄時代は未電化で単行のDCが思い出したように走っていたひなびた線区だった。訪問時にはまだそんな雰囲気が残っていて古い駅舎のままだった。だがこの5年後には新しい橋上駅舎となり駅前に出来た大手スーパーと連絡橋でつながった。ホームも2面だったのが3面になって面目を一新した。田辺駅として最後の頃の写真をお見せする。
①旧駅舎。明治時代からのものだといわれた。
②駅敷地内東側にはC11324機が静態保存されていた。この機関車は残念ながら駅改築のときに撤去され現在動輪とナンバープレートだけが残されている。
③やってきた207系快速。快速といっても長尾までは各駅停車。片町行きの表示はもう見られない。これに乗って片町へ向かった。
1997.2.16撮