今回訪れた場所の中で30年前にも訪れているものもある。その時の写真も示し、時の流れを知るよすがとしよう。
弥彦線
まだ未電化でキハ30,35などの気動車が走っていた。このときは乗っていないが越後線も非電化だった。色はすべて首都圏色(タラコ色)、新潟色などというのが現れるのはずっと後。また弥彦線には東三条からさらに南へ越後長澤というところまでの部分もあった。燕三条にて
まだ未電化でキハ30,35などの気動車が走っていた。このときは乗っていないが越後線も非電化だった。色はすべて首都圏色(タラコ色)、新潟色などというのが現れるのはずっと後。また弥彦線には東三条からさらに南へ越後長澤というところまでの部分もあった。燕三条にて
新潟駅(新幹線)
宿泊した駅前ホテルの客室窓から撮った。上越新幹線開業からまだ1年たっていないころで上り列車の行先は暫定開業の大宮。新幹線といえば東海道の0系しか縁のない関西人にとっては緑と白の200系は一目見たいと思っていたものだった。
宿泊した駅前ホテルの客室窓から撮った。上越新幹線開業からまだ1年たっていないころで上り列車の行先は暫定開業の大宮。新幹線といえば東海道の0系しか縁のない関西人にとっては緑と白の200系は一目見たいと思っていたものだった。
新潟駅(磐越西線)
非電化の磐越西線新潟口は気動車が中心だったが中にはこのような旧型客車列車も残っていた。この地のSLが引退してすでに10年以上経ちこのころはDD51などのDLが牽いていた。旧型客車も各地に残っていたがこのような60系鋼体化客車はめっきり減っていた。まさかここにSL列車が復活するとは思ってもいなかった。
非電化の磐越西線新潟口は気動車が中心だったが中にはこのような旧型客車列車も残っていた。この地のSLが引退してすでに10年以上経ちこのころはDD51などのDLが牽いていた。旧型客車も各地に残っていたがこのような60系鋼体化客車はめっきり減っていた。まさかここにSL列車が復活するとは思ってもいなかった。
1~3枚目 1983,5,1撮
4・5枚目 1983,5,3撮
4・5枚目 1983,5,3撮