鈍感力

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  渡辺淳一著 集英社 1155円

今年のベストセラー本を遅まきながら読んでみた。小泉前首相が政局で自民党の幹部が支持率低下を憂慮している時にこの言葉を用いて広まった。それで自民党の幹部達は鈍感になったのかその後参議院選挙では最低支持率になって安倍首相は結局退陣してしまった。

 

著者の渡辺淳一は元医師であるだけに鈍感と言う言葉を外部からの異物やストレスに対する身体の反応の過大ならぬことと言う極めて物理化学的な意味合いとして捉えているようだ。その意味で鈍感であることはむしろ健康で世の中を上手く渡っていくのには都合がいいだろう。この本で言わんとすることは間違ってはいないしその額面で受け止めればそうだなと思える。でも日常会話で鈍感と言うのはむしろ周りの空気を読めない人間というもっと形而上の問題として使うことが一般的だと思う。渡辺はそのことは知ってか知らずか言及してない。

 

例えばかつての整形外科医の頃手術の間教授の小言に何でもはいはいと受け答えする先輩がいたことを書いてあるが、私はこの人のことはまったく鈍感とは思わない。手術室の極度に緊張した状況で周りの空気を和らげようと意図的にそのように対応して、その場の空気を読むのに極めて機敏な人だと感じた。渡辺はそのことでその人を鈍感と感じていたならちょっと皮相な見解ではないか。医者としてならまあよいが、人間模様の機微を描く作家としてならもっと勉強したほうがいいのではないか。

 

その他にも一人腹を壊さなかったゴルフ仲間とか落胆して消えてしまった新進作家、子宮の出血が止まらず危険な状態だったのに一命を取り留めた患者のことなど書いてあるが、かつての知り合いを安易に引き合いに出してこの人は鈍感だ敏感だなどと論じるのに呵責は感じなかったのだろうか。自分ではほめたつもりでいても相手には胆に触るようなものもある。そういうことを平気で書けるなら、渡辺さんおめでとう、貴方は立派な鈍感人間です(空気が読めないという意味において)。

 

医学的な裏づけがあるような書き方をして女性は本来強いものだから女性をゲットするためには鈍感にイケイケで攻めなければ勝てないとしている。この本はもともとプレイボーイという男性雑誌に連載された記事をまとめた文章だそうだから、おのずと男性向けにある程度娯楽本位に書かれたものであることは自然であろう。だけど女性がみんなそうであるように見るのは、渡辺の勝手な思い込みに過ぎない。ひとひらの雪、失楽園愛の流刑地に出てくる女性が男性に都合のよいような人間像に描かれているのはそのせいではないか。

 

母親の愛は鈍感力の最たるもの? おむつを取り替えるときに子供のうんちとおしっこに触れ匂いをかぎ色や形を確かめる。子供がまわりに散らかしたご飯を不潔と思わず口に入れることが出来る。→それは鈍感などというものではなく子供の健康状態の変化をつぶさに見て、子供が身体によくないものを口にしていないかを観察する極めて繊細な観察眼であります。鈍感にしてうんちの色や形の変化、子供が吐き出した食べ物の味や匂いの変化を知ることができましょうや。このようなことを母親だけの「鈍感力」と思われているようですが、熟練した看護師や介護士は口にこそ入れませんが日夜観察しております。

 

渡辺さんはどうも鈍感というものを勘違いされているのではないか、そんな感を強くした一冊でありました。